円の長期下落——国際通貨としての円の位置

経済 東京 2026年4月3日

円の長期下落——国際通貨としての円の位置

2022年以降の急速な円安は、短期の日米金利差だけでは説明しきれない。決済、外貨準備、資本取引の三層で「国際通貨としての円」の位置を再確認し、構造要因と循環要因を分けて読む。

2022年春から続く円安局面は、対ドルで1ドル150円台を複数回突破する水準まで達し、一時160円台を付けた。為替市場の表層では日米金利差が主因として語られるが、編集部は構造要因として貿易収支・所得収支の変容、そして国際通貨としての円の「位置」の緩やかな後退を検証する。

01. 2022〜2024年の局面——何が起きたのか

日本の対米ドル為替レートは、2021年末には1ドル115円前後で推移していた。それが2022年春から秋にかけて一気に150円を突破し、その後も2024年までの間に複数回150円超の水準を記録した(1)。この局面の初期は、米連邦準備制度理事会(FRB)の急速な利上げと、日本銀行の金融緩和継続の組み合わせによって説明される「日米金利差拡大」が主な動因とされた。

しかし、2023年後半以降、日米の金利差が縮小に向かった局面でも円の下落は継続した。この事実は、金利差だけでは円安を説明しきれないことを示している。2024年3月の日銀のマイナス金利解除、7月の政策金利引き上げの後も、為替は一時的な円高反応を見せたものの、趨勢的には円安基調が続いた(2)

02. 貿易収支の変容——「輸出立国」前提の崩れ

構造要因の第一は、貿易収支の変容である。日本は2011年以降、継続的に貿易赤字と黒字を振幅する構造へ移行した。事故前の2010年までは基調的な貿易黒字国であったが、エネルギー輸入増加、電子機器を中心とする輸出競争力の低下、海外生産移管の進展が重なり、2020年代には年次で赤字となる年が珍しくなくなった(3)

貿易赤字そのものが為替の下落を直接決めるわけではない。為替を決めるのは資本取引を含む経常収支全体、そして金融勘定・投資所得・第一次所得収支の構造である。日本は経常収支黒字国であり続けているが、その黒字の中身は大きく変わった。輸出から得る黒字ではなく、対外直接投資・証券投資からの第一次所得黒字が主たる源泉となっている(4)

この構造は、海外で稼いだ所得が必ずしも国内に還流せず、海外現地で再投資されやすいことを意味する。外貨建ての収益は、円転換されなければ為替への支え材料とならない。企業の現地留保・海外再投資の選好が強まるほど、円買い需要は限定的になる。編集部が重視するのは、この「円転換されない黒字」が構造化しつつある点である。

03. 国際通貨としての円の位置——決済・外貨準備・資本市場

円の国際的な位置は、大きく三つの層で観察される。第一に決済通貨としてのシェア、第二に外貨準備通貨としてのシェア、第三に国際資本市場における発行通貨・投資通貨としての利用である。

決済の層では、SWIFTの通貨別決済シェアにおいて円は米ドル、ユーロ、英ポンド、人民元に次ぐ位置にあり、シェアは近年数%台で推移している(5)。この水準は、日本の経済規模(名目GDPで世界第3〜4位)と比較すると相対的に低い。円は日本企業の海外取引においてすら、ドル建て・現地通貨建ての比率が高い。

外貨準備通貨の層では、国際通貨基金(IMF)のCOFERデータにおいて、円のシェアは2010年代後半に一度上昇した後、足元では5%台で推移している(6)。ドルの圧倒的シェア(約58〜60%)とユーロ(約20%)に続く位置だが、人民元の緩やかな上昇と円のシェアの横ばいが並走しており、将来の競合が注視される。

資本市場の層では、サムライ債(非居住者が日本市場で発行する円建て債券)の発行額は長期的に縮小傾向にある。一方で、日本企業の外貨建て債券発行は拡大しており、円を調達通貨として利用する動機が相対的に弱まっている(7)

04. 家計の金融行動——新NISAと対外資産

2024年1月に本格運用が始まった新しい少額投資非課税制度(新NISA)は、家計の金融行動に影響を与えている。年間投資枠の拡大と非課税保有期間の無期限化により、投信経由での海外株式投資が拡大した(8)

家計が「円で稼ぎ、ドル建て資産で運用する」構造が定着すれば、円需要の底は緩やかに低下する。 野村総合研究所『新NISAと為替』2024年4月

この現象は、短期的な為替押し下げ要因というよりも、構造的な円売り需要として機能する。日本の家計金融資産は約2,000兆円を超える規模を持つが、そのうち海外資産へのシフトが数%進むだけでも、為替への影響は大きい(9)

05. 日銀の金融政策——正常化の時間軸と為替への含意

2024年3月、日銀はマイナス金利政策の解除、長短金利操作(YCC)の撤廃を決定した(10)。同年7月、10月、2025年以降にも段階的な政策金利の引き上げが実施され、物価上昇率の安定的2%達成を見通した「金融政策の正常化」が進行している。

ただし、為替との関係は単純ではない。日米金利差が縮小しても、前述の第一次所得収支の還流パターン、家計の対外投資、貿易構造の変化が組み合わさる場合、円の趨勢は緩やかな下落基調を続けうる。BISや日銀のリサーチ論文は、短期の金利差効果と中長期の構造要因を分けて分析する必要性を繰り返し指摘している(11)

06. 構造要因は何を含意するか

編集部が本調書で扱った変数を整理すると、円の長期下落は次の要素の複合的帰結として理解される。第一に、経常収支の源泉が輸出から所得収支に移行し、黒字が必ずしも円買い需要に直結しない構造。第二に、国際通貨としての円のシェアが緩やかに低下し、決済・準備・資本市場の各層で役割が縮小している傾向。第三に、家計の金融行動が海外資産へのシフトを見せ、構造的な円売り需要を生んでいる状況(12)

これらは短期的な政策介入で反転させることが困難な変数群である。財務省の為替介入(2022〜2024年に複数回実施)は短期の振幅抑制に効果を持ったが、趨勢の反転をもたらすものではなかった(13)

関連する調書

  • dossier-007-semiconductor-policy
  • dossier-014-liquor-industry-globalization
  • dossier-004-inbound-economics

脚注

  1. 日本銀行『外国為替市況』、および財務省『外国為替相場の推移』(いずれも日次・月次データベース)。
  2. 日本銀行『展望レポート』(2024年1月号、7月号、10月号)の為替分析節、および日経『日銀利上げと円相場の非対称反応』(2024年8月)。
  3. 財務省『貿易統計』年次公表、日本貿易振興機構『ジェトロ世界貿易投資報告』(2024年版)。
  4. 財務省・日本銀行『国際収支統計』(月次・年次)、および日本銀行『国際収支統計からみた日本経済の姿』(2024年版)。
  5. SWIFT “RMB Tracker Monthly Reporting”(2020〜2024年各号)、および国際決済銀行(BIS)”Triennial Central Bank Survey 2022″。
  6. IMF “Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves (COFER)”(2020〜2024年各四半期)。
  7. 日本証券業協会『公社債発行・償還統計』、および野村総合研究所『国際資本市場と円の役割』(2023年版)。
  8. 金融庁『資産所得倍増プラン関連資料』、投資信託協会『投資信託の主要統計』(2024年各月)。
  9. 日本銀行『資金循環統計』(2024年各四半期)、および内閣府『経済財政白書 2024』家計部門の資産構成分析。
  10. 日本銀行『金融政策決定会合における主な意見』(2024年3月・7月・10月各回)、および政策決定文。
  11. 日本銀行ワーキングペーパー『為替相場変動の分解——金利差要因と構造要因』(2024年版)、BIS Working Paper “Structural shifts in the yen market”(2024)。
  12. 野村総合研究所『為替相場の構造変数』(2024年版)、みずほ総合研究所『通貨としての円』(2023年版)、日本銀行レビュー『国際通貨としての円』(2023年10月)。
  13. 財務省『外国為替平衡操作の実施状況』(2022〜2024年各月・各年度報告)、日本銀行『為替介入の効果に関する分析』レビュー論文。

出典

  1. 日本銀行『外国為替市況』 2024-10-01
  2. 財務省『外国為替平衡操作の実施状況』 2024-10-31
  3. 財務省・日本銀行『国際収支統計』 2024-09-10
  4. IMF "Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves" 2024-09-30
  5. BIS "Triennial Central Bank Survey 2022" 2022-10-27
  6. SWIFT "RMB Tracker Monthly Reporting" 2024-10-15
  7. 日本銀行『展望レポート 2024年10月号』 2024-10-31
  8. 日本銀行『国際収支統計からみた日本経済の姿 2024』 2024-07-15
  9. 金融庁『資産所得倍増プラン関連資料』 2024-06-01
  10. 野村総合研究所『新NISAと為替』 2024-04-22